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北区の魅力を再発見!ぶらり散歩道

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東京都北区

今年度は、北区に息づく渋沢翁の足跡や関連施設についてご紹介します。

問合せ:シティプロモーション推進担当課
【電話】3908-1364

◆滝乃川学園と渋沢翁~知的障害者教育・福祉の父と日本資本主義の父~
かつて滝野川の地に、日本で初めての知的障害児のための教育施設である「滝乃川学園」があったことをご存じでしょうか。そのことを示す「滝乃川学園跡」の説明板が滝野川1丁目の明治通り沿いに建てられています。
創立者の石井亮一はキリスト教精神に基づき、知的障害の教育や研究に尽力したことから、「知的障害者教育・福祉の父」と呼ばれました。
1891年、濃尾(のうび)大地震により、多くの子どもたちは孤児となりました。亮一は、震災孤女の受け入れを目的に滝乃川学園を設立し、震災孤女の中に知的障害児がいたことから、知的障害児教育に着手しました。1920年、学園は園児の火遊びにより失火し、閉鎖の危機を迎えます。しかし、学園の廃止を知った人々からの励ましの声と義援金に支えられ、財団法人として存続することになりました。火災の翌年、財政難の立て直し等、多くの課題を抱える学園は、渋沢翁を理事に迎えます。渋沢翁は、亮一の妻である筆子の父と古くからの知り合いだった縁から、滝乃川学園の理事長職を引き受けます。
また、『滝乃川学園百二十年史』上巻に収録されている「石井亮一伝」には、「子爵渋沢栄一翁は学園理事長なり、翁は世間周知の日本財界の巨人、老後一切の公職を辞して身を軽くされたるも『石井さんの事業だけは、経営の労を省いて教育に専心させてあげたい』と言はれて殊に学園理事長として十数年の久しきに亘り最後まで学園のために尽されたる翁の学園に対する好意はすこぶ頗る大いなるものなり」という記述があり、渋沢翁の亮一を労わる思いも垣間見えます。その後、渋沢翁は1931年に亡くなるまで、10年4カ月にわたり、学園の再建に尽力しました。
滝野川を訪れた際には、「知的障害者教育・福祉の父」とそれを支えた「日本資本主義の父」に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
・現在の滝乃川学園は東京都国立市にあります。

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