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北区の魅力を再発見! ぶらり散歩道

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東京都北区

今年度は、北区に息づく渋沢翁の足跡や関連施設についてご紹介します。

◆渋沢栄一と関東大震災
1923年9月1日に発生した関東大震災は、関東地方の広域に甚大な被害をもたらしました。この関東大震災の復興に、渋沢栄一翁が深く関わっています。
震災時、渋沢翁は日本橋にある渋沢事務所におり、所員と打ち合わせをしていました。激しい揺れや建物が崩れる中、所員とともに近くの第一銀行に難を逃れたのち、飛鳥山の渋沢邸へと避難します。家族は故郷の血洗島(埼玉県深谷)への避難を勧めますが、渋沢翁は「わしのような老人は、こういう時にいささかなりとも働いてこそ、生きている申し訳がたつようなものだ」と伝えて、飛鳥山の邸宅に残りました。この時、渋沢翁83歳。
北区の被害は、王子町で、全壊・半壊とも1,000棟を超えていましたが、渋沢邸のある滝野川町は比較的被害が少なく済みました。そのため、大勢の被災者が押し寄せ、食糧問題に直面することになります。そこで、渋沢翁は食糧手配を指示し、渋沢邸を食糧品配給本部として、救護・救援を行いました。食糧品配給は、当時隣接していた岩淵町の宝幢院でも行われ、渋沢翁の食糧調達は内務省の配給が始まる9月12日まで続きました。
渋沢邸のあった飛鳥山を訪れた際は、さまざまな震災復興に尽力した渋沢翁の姿を想像しながら散歩をしてみてください。

問合せ:シティプロモーション推進担当課
【電話】3908-1364

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