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浮間のさくら草を守り続ける浮間ヶ原桜草保存会をリサーチ!

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東京都北区

※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、「第56回浮間さくら草祭り」は中止となりました。

浮間ヶ原の桜草が全国的に知られるようになったのは、江戸時代の初期ごろです。
徳川家康は江戸に城を構えて、しばしば浮間ヶ原に鷹狩りに出た際に、雑草の中に混じって咲いている桜草の可憐さに心ひかれ、持ち帰って鑑賞したのが始まりとされています。その後、各大名や旗本が競って栽培を始め、町民の間にも広まりました。当時の浮間ヶ原の桜草は、4月になると一斉に花が咲き、茶屋が立ち並び、桜草の花見客で大いに賑わったそうです。
昭和初期になると、荒川の改修や築堤工事により本流が変えられたことにより、桜草の生態系が変わり、桜草は徐々に減少していきました。
昭和37年8月に地元の人々が庭先の桜草を持ち寄って、浮間ヶ原桜草保存会を結成し、会員の方々の心こもった栽培作業によって、圃場内には当時の浮間ヶ原の面影がよみがえっています。
例年、桜草が見ごろを迎える4月、約2週間にわたり一般公開しています。
(今年の一般公開は新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止します。圃場内に入ることはできません)

場所:浮間ケ原桜草圃場(浮間2-30 都立浮間公園内)

問合せ:産業振興課産業振興係
【電話】5390-1234

浮間地区では新河岸川沿いに桜草が永い間自生していました。しかしながら、現在、浮間原種の桜草を見ることができるのは、都立浮間公園内の桜草圃場のみです。
このようにわずかにしか残っていない桜草なので、歴史と原種を後世に引き継ぐため、年間を通じ手塩にかけて作業をして、春に咲き誇ることを願っているのです。
今後も浮間の地で咲かせ続け、皆さんに見てもらえるよう桜草を育てていきたいと考えています。
浮間ヶ原桜草保存会会長 髙木一春

◆愛情こめて作業しています 保存会の皆さんの1年の活動
桜草の苗床に除草剤を撒けないので、1年を通して一本一本の草むしりで雑草と格闘を続けます。

▽1年の桜草保存作業

◆浮間さくら草の歴史をたどる
▽江戸時代
町民の間にも広まり、桜草の花見客が茶屋でにぎわっているのが分かります。

▽明治~大正時期
浮間ヶ原桜草の全盛時代。
赤羽駅が開業すると、列車に乗って訪れる人々が増え、浮間の桜草が有名となりました。このころには、桜草を持ち帰る人が増え、帰りの列車には桜草を手にした人でいっぱいだったそうです。

▽昭和
桜草の減少を憂えた当時の園芸組合員が、庭先に植えてあった桜草を持ち寄り、栽培を開始。昭和40年からさくら草祭りを開催しています。

▽平成
平成元年に、新「浮間ヶ原桜草圃場」完成。以来、開花時期になると、可憐な桜草が人々を魅了しています。

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