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20年ぶりに紙幣デザイン改刷 北区ゆかりの偉人渋沢(1)

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東京都北区

■北区長×水森かおり
平成20年から北区アンバサダーとして活躍されている水森かおりさんに、生まれ故郷の北区や新一万円札の発行についてお伺いしました。
また、新一万円札発行カウントダウンプロジェクトPR大使のしぶさわくんをテーマにした「しぶさわくんの唄」についても、反響などを語っていただきました。

北区長 やまだ加奈子
北区アンバサダー 水森かおり

区長:本日はお越しいただきありがとうございます。また、北区アンバサダーとして日頃からお世話になっておりまして、感謝申し上げます。
水森:こちらこそ、お呼びいただきありがとうございます。

◇令和5年を振り返って
区長:昨年は、本当にお忙しい年だったと思いますし、令和6年はさらに、新たなお仕事の依頼も多くなると思うのですが、令和5年は水森さんにとってどういう一年だったでしょうか。そして今年はどんな年にしたいか、お聞かせください。
水森:いろいろと制限されてきたものが、だんだん解除されてきました。例えばコンサートやイベントでも声掛けがOKになったりですとか、エンターテイメントの世界も少しずつ元に戻りつつあります。ここ2~3年にはなかった、飛行機や新幹線での移動、北海道から沖縄まで全国各地を訪れることができた1年でした。とても充実した1年だったので、今年は、しぶさわくんと共に私も羽ばたいていける1年になったらいいなと思っています。
区長:ぜひしぶさわくんと一緒に、水森さんの力をお借りして北区の魅力を発信していけたらいいなと思っております。しぶさわくん、可愛いですよね。
水森:とても可愛いですよね。やまだ区長は、令和5年を振り返るとどうでしたか。環境がすごく変わられたと思いますが。
区長:昨年は、人生の分岐点でした。そして北区長に就任し、北区愛が一層増した、そんな一年でした。今年は渋沢翁をきっかけにして、みんなで同じ方向を向いていこうというエネルギーをつくっていきたい。北区を明るく楽しい雰囲気にしたいと思っております。
水森:やまだ区長はすごく元気な感じがします。今まで北区を支えてくれた人がいて、やまだ区長のパワフルさと女性ならではの視点で、これから北区が変わっていく明るい未来しか見えないです。北区で生まれ育った一区民としてすごく期待しています。

◇北区での思い出
区長:北区で生まれ育ったというお話もありましたが、北区での思い出、印象など教えてください。
水森:北区はふるさとでもあるのですが、今も日常のベースとして存在していて、いろいろな手続きに行ったりもしているんです。子どもの頃は、ランドセルを放り出して自転車で飛鳥山公園に遊びに行ったり、夏になると音無親水公園で遊んだりしていました。父が北区出身、母は埼玉県出身なので、割と近いところに祖父母が住んでいたのですが、お友達から、おじいちゃんおばあちゃんのところに飛行機で行くんだと言われ、子どもながらにうらやましく思っていました。少し大きくなってくると、都心に憧れて。北区民あるあるだと思うのですが。でも大人になってくるにつれて、すごく住みやすいところだなと感じています。
区長:ご当地ソングでいろいろな地域に行かれてますよね。
水森:親や友達から離れて、ひとりぼっちで東京で頑張っている子に比べて、私は東京出身で、ハングリー精神がもともとみんなと違うんだと。お前は人よりも倍努力しないと大成しないとデビュー前に言われたんです。その時は、何で東京に生まれたんだろうと思いました。でもデビューから何年かしたときに、ご当地ソングを歌わせていただくというご縁ができて、その歌の地元の方たちが、私たちのふるさとを歌ってくれてありがとうと喜んでもらえた時に、こっちもうれしくなって。それで今、たくさんご当地ソングを歌わせていただいていて、ふるさとというものを強く意識するようになりました。北区で生まれ育ったんだと胸を張って言えるようになったのはご当地ソングを歌うようになってからですね。
区長:北区をふるさととして意識していただいてすごくうれしいです。
水森:デビュー前に言われたことがずっと引っかかって、ふるさとをどこか堂々と発信できない自分がいたんですが、ご当地ソングに出会ってそれが払しょくされたというのが私にとっても大きな転機だし、私が北区のアンバサダーとして何かお役に立てればいいなというのが、私の一つの恩返しだと思っています。

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